俺の住んでいるところは結構な田舎で、ぼろい平屋の裏手に小高い山がある。
単身赴任中だし遊ぶところもないから休日はよくその裏山を散策するんだけれど、今日そこで一本のビデオテープを拾った。
ハンディカム用の8ミリテープが懐かしくてよくよく見ると、どうやら途中まで何かを撮っていたらしい。
その中身が妙に気になった俺はその足で中古のビデオデッキを買い、何が撮られているのかを見てみることにした。

以降はその映像や音声をできるだけ詳しく文字に書き起こしたものだ。
何だか、そうしなくちゃいけない気がして。



数秒間のノイズが走った後、居間らしき場所に座る白髪の人が映った。
細い背を丸めて下を向いている。目の前にはちゃぶ台、下は畳。
映像のぼやけ具合からそこそこ昔の映像だとわかった。
「じいちゃん」
カメラのすぐ近くで声がした。おそらく撮影者だろう。声色からして若い男だ。
「ん? ……それはカメラか? 何を撮っとりゃあすね?」
じいちゃんと呼ばれた老人が顔を上げた。肌は浅黒いが表情は柔和で、優しそうな印象だ。
老人が体を起こしたことで、その手に猟銃らしきものが握られているのが分かった。
足元にはスプレー缶や鉄の棒のような物もある。手入れ中らしい。
「べつに? 新しくカメラ買ったからさ。じいちゃんの元気な姿でも撮っておこうかと思って」
言いながら男は座ったようで、カメラが老人と同じ高さになった。
「わっちみたいな老いぼれを撮ってもしゃあないやろに」
「いいじゃん、 会うの一年ぶりなんだし。…それは猟銃?」
カメラが皺くちゃの手と鈍色の銃にズームした。老人は慣れた様子で銃身の汚れを拭いている。
「ほうや。いつ必要になってもええように手入れしとかないかんからな。 そういう約束なんや」
「約束?」
「じいちゃん猟友会に入っとるやろ。そこの決まりの事や。
銃は金庫に入れなあかんとか、持つにもお役所に行かなあかんとか、そういうのよ」
へえ、と男が相槌を打つ。
「やっぱり危険だからいろいろ規則があるんだね」
「いんや。これだけやあれせんよ。人はみんな約束事の中で生きとるもんや」
「…そうかな?」
「ほうよ。マサ坊も東京の学校をようけ休んだでお父ちゃんたちに怒られたやろ。
学校はずる休みしたらいかん。それと一緒や」
「あはは……、ほ、他には? 何かそういう約束はないの?」
痛いところを突かれたのか、男がやや強引に話を変えた。再びカメラを向けられた老人は休みなく手を動かしながら小さく息を吐く。

「…ほうやな……、約束でいうたら、…山におるときに女房の話はしたらあかんよ。良い仲の女のこともな。 山の神さんは女、しかもしこやから嫉妬するんや。
ほしたら地滑りを起こしなさったり、山で立ち往生した時に元の道に戻れんようにしなさる」
「へぇ…。山の神様って女なんだ。今度サークルで登る山もそう言われてるのかな」
感心したように男が呟くと、老人はひょっひょ、と空気が抜けるような音で笑った。
「ほうか、今の子は山の神さんのことも知らへんのやなあ」
「……あ、なんかごめん。ここの出身なのに」
「ええんやええんや。マサ坊にはそれよりも勉強せないかんモンがぎょうさんあるからなぁ」
老人は笑顔で男の謝罪を制した。
「じゃあじいちゃんも山ではばあちゃんの話はしなかったんだね」
「……ほうやな。聞かれても女房なんぞおらん、わっちはひとり身やと返しよったよ」
「へえ! ばあちゃんが聞いたら怒りそうだ。後で告げ口しちゃおう」
「そりゃかなわん! ばあちゃんに雷落とされるわ」
老人につられて男のいたずらっぽい笑い声が聞こえてきた。

「…でも山で女房がいるかなんて聞いてくる奴も意地悪だなぁ。ここの人ならその約束は知ってるんでしょ? それとも違う土地の人だったの?」
「………」
「…? じいちゃん?」
「………なあ、マサ坊よ、」
それまで目尻を緩ませていた老人から笑顔が消えた。

「石をな、擦り合わせるような音がずうっと近づいてきたら山を下りや。
辺りを見たらあかん。音が出とる場所を探してもあかん。
何が動いとっても足元だけ見て、まっすぐに山を下りや。じいちゃんとの約束よ」

「……え、」
静かに、だが強く言い聞かせる口調に男が息をのんだ。
「どうしたのじいちゃん。なんか怖いよ、はは……」
「……ばあちゃん、綺麗な写真やったやろ」
男の問いに応えず老人が続ける。
「う、うん。いい笑顔だった」
「……ばあちゃんはなア、若いときからそりゃもうべっぴんさんで…。年くってからも…。
わっちにはもったいない嫁やとずっと思っとった」
「…うん」
「ほんまに、仕事しに山に入ってもすぐ会いとうなって……。
――……それが、ああ、………あんな、……あないな姿、」
ぐう、と絞り出すような声を漏らして老人がうずくまった。
震える皺だらけの手が目元を覆う。
「じいちゃん!」
ガタガタと映像が揺れた。ちゃぶ台に放りだされたのだろうカメラから老人の姿は外れ、代わりにがらんとした居間が映った。
誰もいない向かい側。座る者のいない座布団がある。
「わっちが…、わっちがあないな嘘を言うたせいで……。わっちが……」
「違う。じいちゃんのせいやあらへん。あれはしょうのない事やったんよ」
映像の端からすすり泣く声がした。
「わっちはもういっぺん、…ばあちゃんに会いたかった……会いたかったんや…」
「じいちゃん、思い込みすぎやて。神さんもなんも関係あれせん。な?」
それからしばらくの間、老人の静かな嗚咽とそれを必死になだめる男の声が続いた。

どれくらい時間が経っただろう。 しばし沈黙の後、ようやく呼吸がおさまった老人が地を這うような声で呟いた。
「神さんだろうが別のモンだろうが……、もう、どっちゃでもええ。
わっちは…、わっちのやり方で、アレに……」
ガチャンと重い鉄の音がした。


「……あ、ははは…なに怖い顔してんのじいちゃん!! …今日は朝から気を張って疲れたんだよ。
お酒買ってきたからさ、父さんたちと飲もうよ! それで今日はもう寝よう!! ね!!」
突然薄暗い空間を壊すように明るい大声が響いた。微かに震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「……ほお、マサ坊ももうそんな年か。…あの小便小僧がなぁ」
男の頑張りが功を奏したらしい。ややあって、あのしゃがれ声が嘘のように優しい老人の声が返ってきた。
「もう、それ何年前の話?! 待ってて。今父さんと持ってくるから!」
口早に言ったのち、バタバタと慌ただしい足音がカメラのすぐ脇を通っていく。


「マサ坊、トミ子……。
…――すまんな」

ここで一度映像が途切れる。


その数秒後、再びノイズが走ったかと思うと映像が始まった。
しかしそこは先程までの部屋ではなく、頭上に背の高い木がうっそうと茂っているのが見える。

「音が聞こえる」

言葉と共に人の顔が現れた。
カメラを見下ろすように映るその人が声の主のようだ。大学生くらいの若い男。
彼の背後の木々は青々とした枝を広げており、射してくる光は少ない。

「石を…こすったみたいな音……。近づいてくる」
荒い息の合間に男は言った。たまに小さなうめき声も上げている。
「ほかのみんなはどこに行ったんだろう…。 っ! また音がした。マイクで拾えてるのか…?」
耳を澄ましてみたが、映像からは男の呼吸が聞こえるのみだった。
「…っ足を滑らせた。動かせない。
……もし、もし…じいちゃんの話が本当だったのなら……、俺は、」

焦った様子で男はカメラにむかって喋り続ける。
だが突然、彼ははじかれたようにその顔をあげた。
男の顎がアップになる。わずかに覗く瞳がどこを見つめているのかは分からない。
「――ナオミ……」
荒くなる男の呼吸に交じって、微かにそう聞こえた気がした。

ごうごうと風の音が強い。木々がざわめいた。男は視線をそらさない。

石がこすれる音がする。

「……嫌だ!!! 俺はっ、! 俺には、…恋人が、!」




ここで映像は終わった。
あとは真っ暗な画面が数秒映り、そしてブルースクリーンが出ただけだった。
俺は前述のとおり単身赴任で、しかも数か月前にここへ来たばかりだからこの土地の逸話も事件も言い伝えも、何もかも、知らない。
信じる道理だってないのかもしれない。

だが数週間前にたまたま拾った犬が、さっきからずっと裏山に向かって吠えている。
リードを括り付けた雨どいが壊れそうなほどの勢いで。
朝になったらシロを連れてここを出よう。テープはそのまま置いて。
もしそれまでに雨どいが壊れて、シロが行ってしまったら……。
そのときは