カチリ。カチリ。カチリ。カチリ。
古臭いジッポの発火石フリント式ライター。親指をやすりに引っ掛けて打つカチリ

カチリ。カチリ。カチリ。
どこまでも広がる青空──快晴。
背丈の低い雑多なビルが集合した通り──灰色。
せせこましい路地を行き交う人々──活気に満ちた昼下がり。
ひどく平和で平穏で平凡な、平静そのものの街の情景。

カチリ。カチリ。
そこそこの交通量を有する交差点の角のテラス付きカフェ。
素晴らしい立地かつ書き入れ時にもかかわらず人影なし/客足ゼロ/売上皆無──その原因を作っているのは間違いなく物騒な得物をぶら下げてテラスを完全占拠している自分なのだが、今のところ河岸を変える気力もなし。

「あーーーあ、暇だ。テロとか起こんねえかなあ」

女──毛羽立ったぼさぼさのセミロング/不機嫌そうに眇められた黒瞳/天然ものの黄色い人肌スムース・アジアン
色褪せた男物の半袖シャツ/ニットベスト/ジーンズ/野球帽/ごつい軍用ブーツのラフだがいささか暑苦しい格好で、テラス席にふんぞり返って一人で占領。
"屋外禁煙"の張り紙を真っ向から無視したくわえ煙草で、微かに潮の香りが漂う南風に乗せて副流煙を軽快に放擲。
怒れる店員にいつ車道に放り出されてもおかしくない、立派な迷惑客の風情。
そして何よりも、彼女の右腕──机上にだらりと投げ出され、銀灰色のライターを拍子木めいて打ち続ける、本来彼女の体格で有するべきそれより一回り大きい漆黒の義腕。

「なあ、そう思わねえ? 大規模テロの鎮圧とか、一度でいいからやってみてえよな」
『そいつは私の返答を期待しての発言か?』

静かで落ち着いた中音域メゾ・ソプラノの返答──テーブル上の古ぼけた携帯型ラジオ。
ジッポライターに負けず劣らずの化石めいた年代物が、ノイズまみれの美声を吐き出す。
女は呆れ顔で、煙草の煙をラジオの方に吹き付けた。

フィンレー、お前に聞かせてどうすんだよ。経験あんのか? テロリストを撃ちまくったことが?」
『仮想訓練は受けた。ケース・マンハッタンは古典中の古典だぞ』
「またそれかよ。間抜けのカオス・ゲリラがド間抜けの財団のケツに一発蹴りを入れてみたってだけで、どうして教科書に載っちまうんだ」
『歴史の転換点だからだ。少なくとも、私はそのように教育された』
「へへえ。シリコンバレーのどデカいオフィスビルの地下室で?」
『財団の《人形工場》先進人工知能教育局の所在地はマドリードだ。復興支援事業の一環として2021年に移設されている──ついでに言えば、シリコンバレーが先端電子技術開発の聖地だったのは2010年代までで、私の開発時期よりも前の話だ。ネットで聞き齧った知識だけで人を揶揄するべきではないな』
「チッ」

あからさまに舌打ち──女が心底面倒臭げに顔を歪めた時、唐突に脳裏に弾ける声。一人と一台だけが専有していた空間を引き裂くような、ノイズのまったくないクリーンな通信よびだし=耳の後ろの入墨によって媒介される、大脳へ不躾かつ強制的にお届けされる思念伝送テレパシー

市警本部キャッスルより契約警官セキュリティ各位。中央区シティイーストエンドにて武装強盗事案発生。容疑者は4名、ニュー・ボゴダ亡命銀行を襲撃後、徒歩でホーソーン方面に逃走中。負傷者多数。勤務時間中の契約警官各位は急行せよ。繰り返す──》

カチリ。
機械のように正確な一定間隔の打音が停止。
義腕の女──"この世には面白おかしいものなんかもう何一つ残ってません"という表情から一転、歯を剥き出しにした攻撃的な微笑みを浮かべて立ち上がり、テーブルの上で冷え切っていた場所代がわりのエスプレッソをぐいっと一気飲み。
左手でラジオを引っ掴み、腰のホルダーにカラビナで固定。
ヴィンテージの空軍ジャケットを肩から羽織れば、出動準備は万全だ。

『行くのか? 今日は非番だろう』
銀行破りバンク・ジョブはランク2の重大犯罪だ。稼ぎ時だぜ」
『久々の休日はキャンセルか』
わりぃな。埋め合わせを用意してやるよ」
『楽しみにしておく、レイチェル

熟年のコンビネーションが織りなす最小限の会話が終了。
コーヒー代に少し色を付けた額の紙幣をカップの下に挟み込み、レイチェルはテラスの柵から身を躍らせた。
車道に飛び出て右腕を大きく振り回す──偶然通りがかったタクシーが急ブレーキ/急停止/怒った運転手が文句を言おうと窓を開ける──しかし目の前に突き出された黒光りする物騒な義腕と、その指先に引っ掛けられた身分証を見て黙り込む。
レイチェル=意地悪げににんまり笑って。
フィンレー=ノイズまみれの溜め息を吐いて。

「あたしらは自営刑事ブラックナイトだ。業務のためにこの車を接収する。イーストエンドまで超特急で頼む」
『メルボルン自治法に基づく合法的な一時徴収行為だ。報奨金については後日、市警本部に請求を』

返事も聞かずに助手席に乗り込む──後部座席で乗客が何事かを喚いているが、前部との間に設けられた間仕切りに遮られて一人と一台にはほとんど届かず。
そもそも外国人観光客らしく、僅かに聞こえる声もまったく意味不明。
義腕を伸ばして運転手を"早く出せよ"と脅かしながら、レイチェルは誰ともなしに呟いた。

メルボルンへようこそ、お客さん。悪いけど、ここはこういう街なんだ」

*

オーストラリア連邦共和国・・・南部の都市、メルボルン
大昔から居住していた先住民が白人入植者の持ち込んだ伝染病で全滅したあと、19世紀初頭に入植者の子孫たちによって"発見"された土地。
ポートフィリップ湾に面した良港とヤラ川の豊富な淡水によって、古くは農業と牧畜で、ゴールドラッシュが起きてからは金融と貿易で栄えた港町。
オーストラリア連邦成立時にはシドニーと連邦首都の座を争ったこの街は、大陸有数の大都市として長らく繁栄を謳歌し、1998年の大混乱の後もその発展に翳りはなさそうに思えた。

しかしその栄華は脆くも崩れ去る──第二次エミュー戦争・・・・・・・・・
オーストラリア中西部の荒野から自然発生的に湧き出したエミューの群れ/群れ/群れ──その大部分が何やら異常な姿態や能力を有する化け物クリーチャーに変異しており、農地や市街をみるみる蹂躙。自治体や警察にはまるで手に負えず、軍隊の出動が要請されたが時既に遅し。
結局、首都キャンベラや最大都市シドニーを含む東部海岸沿いの人口密集地への侵攻こそ防いだものの、変異エミューの異常発生=大氾濫スタンピードが数年間かけて収束するまでに大陸中央部は完全に荒廃/汚染/侵食/自然環境や生態系が急速に変化──人類の生存を阻む荒野に逆戻り。
メルボルンは開戦当初に放棄──大氾濫の震源地から近すぎて防衛不可能と判断され、全住民が強制疎開。守る者のいない無人の街は当然ながら変異エミューの群れに飲み込まれ、都市機能は半壊。
戦争が終結した後、オーストラリア大陸における人類生存領域フロントラインは大幅に後退し、メルボルンはその最前線=また大氾濫が起こったなら最初に襲撃を受けて壊滅する危険地帯だとみなされた。

それでも都市行政は迅速に復旧を開始し、オーストラリア流刑者と移民の国では比較的歴史ある大都市を再建しようと試みる。
しかし大被害を被った連邦政府の政策──疎開市民帰還のための輸送を拒否/都市機能再建のための補助金を減額/都市防衛のための軍隊派遣を遅延="危険地帯だとわかっているんだからみんな帰らずに別の安全な街に住みなさい"と無言の指示。
市政府および州政府は大反発──"俺たちの街は俺たちで守る"と忘れかけていた開拓者の自立精神フロンティア・スピリッツをいきなり発揮。
政府の支援が得られない中でメルボルンを再建するため、国政が大混乱中なのをいいことに国を飛び越えて数々の新政策を発表──海外超常企業の積極的誘致/超常技術への規制緩和/正常性維持機関への施設貸与/各種研究機関への市民情報の提供といった、保守連合政権下のオーストラリア政府がこれまで消極的だった数多くの開放政策を実施。
それに対する政府の反発/圧力/糾弾/有形無形の妨害も、すべて"でも俺たちの街には何もしてくれないんでしょ? じゃあ俺たちも勝手にやるからさ"と押し切った。

結果として、現在──2056年。
"国家に見捨てられた街"メルボルンは、オーストラリア最大の超常技術特区を有する先進的企業都市として知られている。
その一方で、流入し続ける未登録移民/超常犯罪者/非合法悪魔/半神格/変異生物/官僚災害/現実性異常/その他諸々の脅威により、犯罪率が猛烈に上昇。
壮絶な治安悪化に困り果てた市政府は、市警察と委託契約を結んで警察業務に従事する成果報酬型の民間事業者=民営警察レンタコップを導入し、都市治安の維持及び緊急時の都市防衛にあたらせた。
見かけ上は高い給与と契約期間中の身分保障に釣られた多くの荒くれ者が契約警官の職に就き、そして多くが快復不可能な何かしらの傷を負って街を去ったが、それでも向こう見ずな新規参入者が後を絶たず、犯罪率も低下していない。

埃まみれの戦災復興都市、メルボルン。
今日も今日とて街の片隅では、犯罪者と雇われ警察官が不毛な殴り合いを続けている。

*

メルボルン市中央区シティ、イーストエンド。
交通規制が敷かれて大渋滞に陥った目抜き通りに、法定速度を大幅に超過したタクシーが横から突っ込み、猛烈な勢いでブレーキ──危うく衝突事故を起こしかけ、そこら中の車からクラクションを浴びせられて停車。
助手席から飛び出す人影=レイチェル。

「おっちゃん、ありがとなー!」
『迷惑をかけた。苦情は市政府に言ってくれ』

何やら文句を言っている運転手に後部座席から降りた観光客が後ろから殴りかかり、取っ組み合いが始まっていたが、一人と一台は華麗に無視。市民の献身をありがたく噛み締めながら、野次馬を掻き分け騒動の中心部へ。
レイチェル=うきうき楽しげ。
フィンレー=そわそわ神経質気味。

「獲物、まだ残ってると思うか?」
市警本部キャッスルが招集を解除していないということは、少なくとも捕まっていない容疑者がいるということだ』
「いいね。ついでにご同業が何人かノックアウトされてりゃあ、危険手当ぶんが上乗せだ」
気絶KO程度で済めばいいが、ミンチになっていたらどうする気だ。コックスプレート事件を忘れるな』
「あーーー、ちくしょう、嫌なこと思い出させるな。お前はあの現場の臭いを嗅がなかったから平然としてられるんだ、あたしなんざ1ヶ月は洗濯機を使えなくて──」

緊張感の欠片もない、喚きながらの行軍──それもそのはず、規制線の向こう側には野次馬と警官が押し合いへし合い、上を下への大騒ぎ。
交通が完全にロックされていること以外、普段の中央区シティと変わらぬ活気。
アイスクリーム屋台のおばちゃんから通りすがりにチラシを押し付けられたレイチェル──瞳を輝かせて。

「なあ、"本場ポーランド産17年ゼミの蜂蜜漬け味"だってよ。仕事上がりに食ってみねえか?」
『東欧に素数ゼミは生息していないし、ポーランド産を謳った食用ゼミの97%はウクライナからの輸入品だ。どう考えても産地偽装だろう』
「夢がねえなーー! 土産物屋の誇大広告を真に受ける奴がいるかっての」
『これは景品表示法と食品衛生法にかかる法令遵守の問題で──いや待て。レイチェル、上だ!

フィンレーの叫び──レイチェルが猛然と跳躍した次の瞬間、先程まで一人と一台がいた場所に上空から巨大な物体が高速で落下/激突/衝撃波と金属破片を撒き散らしながら盛大に着弾。
レイチェル──周囲に停車していた車輌の影に素早く避難。
ついでに呑気な野次馬連中を機械の右腕で引っ掴み、奥まった路地=安全地帯に放り込む。
数秒と経たずして周囲のビルの上から乱射ダダダ/連射ダダダ/猛射ダダダ──嵐のような機銃掃射が落下物の上に降り注いだ。

「おいおい、雇用刑事ホワイトナイトども、ブロック丸ごと穴だらけにする気だぜ。弾代が足りないって話じゃなかったか?」

跳弾した大口径機銃弾──周囲の建物/車輌/街路樹に降り注ぎ、物凄い勢いで破壊。